「勝負」について。

 

少し前に「勝ち続ける意志力」という本を読みました。

著者は一般的には少し変わった職業と思われる「プロ・ゲーマー」である梅原大吾さんという方です。私はこの方を本を読むまだ知りませんでしたし、ゲームもまったくしないのですが、非常に感銘を受けました。

 

読み終えてひとつ思ったことが、「自分は高校卒業までサッカーを真剣にやってきた。振り返って辛かったり、苦労したり、感極まる思いをしたり、栄光を掴んだ瞬間を味わったり。だから、この“勝負の世界”というものが何たるかは、彼と同じレベルではないにしても理解することが出来る。頭ではなく全身で。ただ、そういう経験のない人にとてはどうなのだろう?」と。

 

ふたパターンあると思います。

真剣な勝負をしてきた人生。そうでない人生。

 

そうでない人生というとマイナスイメージがつくかもしれませんが、真剣勝負が起こらなかった人生といってもいいかもしれません。

 

そしてこれから書くことは後者を否定することではなくて、ただ前者を選んできて良かったなというだけのお話です。

 

私はプログラマーの端くれなのでたまに思うことがあるのです。小さい頃からプログラミングばかりしておけば技術が高くなるからそっちのほうが良かったのかなと。でもそうばかりではないと。

 

ITの世界というのは他産業とは比べ物にならないくらい開けた世界だと思います。オープンソースが前提のような考えであり、大小様々な勉強会やコミュニティーがあり、相互に様々な人が助けあい、教え合っています。

そんな中でずっと育っていけば、確かに楽しいかもしれません。でもその中にギリギリの真剣勝負というのは生まれないと思うのです。

プログラマーとしての仕事もまさにそうだと思います。日々技術を磨いたり、良いサービスをつくるための努力というのはもちろんあります。非常にそれが大変だったり苦労が伴うというのはわかっています。でもその中に勝負はない。

 

 

 

梅原さんの幼少期の回想部分の記述で、秀才のお姉さんに絶望感にも似た感情を抱いた後の場面、

 

先に鉄棒から手を離せば、先にプールから顔を上げれば、この先の人生で姉のような人物に出会ったとき、いつも頭を下げなくてはいけない。それは絶対に嫌だった。死んでも先に音を上げるわけにはいかなかった。

 

というシーン。こういう気持ちって限界の勝負をしてきた人にしか真に感じることができなくて、例えばビジネス上の複雑な利害関係であったり駆け引きであったり、はたまたみんなでいいもの作ろうよ!というような場所では経験できないのではないかと思うのです。別にそれが悪いとか良いとかと言っているのではありません。

 

“勝負”について思うこと。

上で挙げたような場面では真剣勝負はあまり起こり得ないといいましたが、日常の中ではそれが“自分との戦い”として何度も何度も訪れます。

それは日々幾度と無く訪れる決断の場面、自分のチャレンジの過程の中でです。

例えば、何かを選択する際に自分の限界よりちょっと低めのうまくいきそうなものを選びそうになる、自分で選択したもののうまくいかず外部要因のせいにしてしまいそうになる。つまり負の思考が生まれる瞬間です。

 

この“負の思考が生まれる瞬間”は人が本当に弱くなる瞬間です。そうした場面で最終的にどうできるかはそれが生まれた瞬間の自分との真剣勝負に勝てるかどうかにかかっています。そして今までの人生でそうした真剣勝負をしてきた人間はその最も難しい勝負に勝てる可能性が高いと思うのです。

 

 

 

最後に。私が一番感動し、心に留めておきたいと思った一文です。

 

険しい道を選べるかどうかは、打ち込んでいるものが本人にとってどれだけ大事かに掛かっていると思う。

 

ゲーマーという特殊な、時には周りの人から嘲笑されるような立場であった梅原さんの言葉だからこそ、心が動かされました。